元 外資系広告代理店 営業マンのつぶやき

ちょっと早めの定年退職。さてとこれから何をやろうかな。

Vol. 3 - 気持ちを切り替えて!

実は転職活動の現実と同時に、ずっと前からなんとなく考えていた独立=個人事業主または会社設立ってやつも同時に模索していたのも事実。調べてみると国や自治体の支援も多く、かなり参考になることも多かった。俺の住まいはコロナで悪名高き東京都であるが昨今、急に騒ぎ出している「人生100年時代」を迎えるべく、企業は国の法律施行を受けて定年退職後の再雇用を進めており且つ、国は65歳はもちろんのこと70歳くらいまで働けぃ!と申されている様子だ。

 

それを後押しする東京都の施策も多く用意されており、それらを知ってもらうためのセミナーもこれまた多数用意されていることに気づいたオレ。であれば無料だし、個別相談もあるんだったらぜひ!受講してみようと考え、いくつか参加してみた。いやぁ~これが参考になる!びっくりした。東京都といえどもチョロいセミナーなんだろうなぁと高をくくっていたが、大間違い!小池都知事まで出てきて挨拶やスピーチをするといった力の入れようには驚いた。

 

これを使わない手はない!と考え、個別相談なども活用して齢50代後半(2020年に59歳)のおっさんだけど多くの知識を身につけさせてもらった。ここで知り合った方々はこれから俺が仕事をしてゆくうえでとても大切な人達だ。この方々との関係を大切にしてゆこう!という出会いの数々だったかな。東京都もやるなぁ!と思う。が、結局は60歳を過ぎても働き、税金を納め、自治体も国も人生100年時代に備えるためということなんだろうなぁとも思っているけど、個人レベルでは良き出会いだったかな。

 

そして2020年7月もまもなく終わり。本来であればオリンピックイヤーであり今頃は開会式や競技で盛り上がっていたことだったと思うがコロナや豪雨等による自粛や甚大な被害があり、そして今年の梅雨は長い。関東甲信越の梅雨明けはどうやら8月になるとのこと。早くすっきりしたいし、「令和二年七月豪雨」で被災した方々や地域の早期復興を願いたいですよね。

 

そしてそういう俺はというと、とある企業に属しながら(業務委託に近い立場だけど)そこは副業が可能なので、個人事業主としても別件活動中。さらに以前のお仕事で知り合った人たちから新規事業の立ち上げなどの話ももらい、すぐにそれなりのお金になるとか、あるいは安定化というハナシではないけれど、なんとか50代後半=58歳からのリスタートを切った!という感じかな。

 

これからは仕事はそこそこに、でも一歩先をゆく「先手必勝型ビジネス」を踏襲しつつきっちりとこなす、そして趣味も大いに楽しむ!そういう人生を送ってゆきたいと考えております。早期退職を会社から持ちかけられた2019年11月から約8ヶ月、やっと気持ちを切り替えられたかなぁと最近は少しは思えるようになってきたかな。今、日本をはじめ世界の名だたる企業ですら経営不振に陥り、大量の人員整理=雇用調整を行っている。そういう意味ではコロナが大騒ぎする前にこのようなハナシがあり且つ、相当よい条件だったことはとてもラッキーだったと今は思えるようになってきた。

 

大学卒業後ずっとサラリーマン。そして定年数年前にまさかの早期退職勧告!そりゃぁ落ち込むし、むなしいし、気力も失せながらもあきらめずに前を向く辛さ、いろいろあったけど俺を支えてくれたのは多くの友人と妻の言葉だった。

 

というわけで次回からはがらっと話題を変えて手前勝手ながら俺の趣味の話でもしようかな、と思っています。これからもこのブログへのお付き合いをよろしく!お願いいたします。★最後までご一読ありがとうございました。

 

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2018年5月 秋田県 鳥海グリーンラインにて。

 

Vol. - 4 「趣味について」へ続く。

 

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Vol. 2 - 50代後半の就活とは

心も体も30代とは言わないけれどまぁ自分では40代前半から中盤のつもりでいたが、世の中はそんなに甘くない現実をメチャクチャに突き付けられた。大手求人サイトでは法律上、年齢制限を記載してはいけないことになっているらしく、世の中にはたくさんの職があふれかえっている。よ~し!俺も頑張るぞ!と自分のスキルと経験からオレ的にはマッチングしているであろう企業に片っ端から応募。しかし面接前にメールにてほとんどが断られてしまうという現実がそこにはあった。

 

えっ?なんで??これだけ経験があるのに。別に正社員になりたいと言っているわけではないし、契約社員あるいは業務委託でもよいし、年収だって今までの1/3で構わないと思っていたのだが、50代後半のジジイ(当時58歳/2019年10月に58歳を迎える)に世の中は冷たかった。要は50代は世間にとって不要らしい。一般的なサラリーマンの世界では50代はおろか、40代でも不要。今、最も必要としているのは20代~30代中盤まで。それより上の年齢は職というかポストがないということらしい。

 

つまりのところ、旺盛に働く20代や30代は必要だけど、管理職あるいはそれに相当する年齢やポストに就く人たちはそもそもヒエラルキーの上層部分に位置しているので、当該者が転職あるいは退職しない限りそのポストは空かないし、ゆえに求人がないというのが現実のようだ。11月から3月末までの4ヶ月間、応募した企業は50社以上。正社員、契約社員、業務委託に至るまでどれひとつとして面接までも行かず、すべて書類選考落ち=年齢制限落ちってやつだったよ。

 

しかし持つべきものは友だなぁとつくづく思ったこともあった。俺が早期退職に踏み切ることを世話になったクライアントや友人に話さなければならない現実もあったが、驚いたことにクライアントはHydeeさんが辞めるのならHydeeさんに仕事を出したい!と言ってくれたり、多くの友人が手を差し伸べてくれて転職サイトとは別にいくつかの企業を紹介してくれたり、50代後半からの暮らし方や生き方等を教えてくれ、これは妻のことば同様、たくさんの勇気を得ることができた。本当に心から感謝だったし、この先の現実を正面から受け止め、先に進める気がしてきたことも事実だった。

 

気持ちを切り替えながらも、アルバイトという手段も選んでみた。そのひとつに大手企業の出荷センターで採用してもよいとの話をいただいた。作業は倉庫での品出しや出荷前の検品作業となり時給提示を受け、面接に臨んだ。事前に言われていたことは20代の若手社員があなたの上司になります。作業着を着て仕事をしてもらいますが、50代のあなたに耐えられますか、精神的苦痛にはなりませんか。それでよければ面接に来てくださいとのことだった。案の定、上司になる20代の若者は茶髪で態度はデカかったよ。これは無理だなぁと思いこちらからお断りとなった。

 

さぁてどうしようかなぁ。妻が言うように無理に働かなくてもゆっくり考えながらでよいじゃない、という言葉が頭を何度もよぎりながらも男のプライドもあり悪戦苦闘という感じだった。ところが就活と並行しての話となるが、1月下旬ごろからだっただろうか、業界ではチョイとばかり名の知れた企業複数社から声がかかりぜひ!来てほしいというのだ。願ってもないチャンス到来。各社の面接に足しげくかよった。反応は上々!これはこちらが複数社を選べるという形勢大逆転系となった。しかし!しかしだ、ここでまた大きな難問というかどうしようもない状況になっちまった。

 

そう、今でも世の中を騒がしている新型コロナウィルスの蔓延だ。各企業からは二次面接や役員面接・社長面接などが相次いで無期延期となり2020年7月末現在、そのままの状態。コロナは収束するどころか拡大の一途をたどっておりこりゃぁ面接再開はねぇなと思ったのが10月末。そして今後、自身の身の振り方に腹をくくったのだった。★最後までご一読ありがとうございました。

 

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2019年 青森県 奥入瀬渓谷にて。

 

Vol. - 3 「気持ちを切り替えて!」へ続く。

 

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Vol. 1 - 早期退職制度

とある外資系広告代理店に勤務して20年。広い意味での広告業に携わって約32年。ずいぶんと長い期間、広告業界に身を置いておりますなぁ。2019年の日本は国際的なスポーツイベントに於いて日本チームがベスト8に入ったという快挙に沸いた年。私も当該イベントの一部分を手伝い、予てからの夢でもあった国際的なスポーツイベントにかかわれうれしくて、業務に全力投球!かなりのハードワークでしたがなんとか無事に終了。

 

しかしイベントが終了して間もない2019年11月21日(木)15:30、この時を待っていたかの如く会社から呼び出しが。なんとなく数年前から覚悟はしていたけれど「早期退職プログラムのご案内」たる書類が社長より提示された。我々、外資系代理店では日本の定年である60歳を待たずに早期退職制度等の活用により会社を退職せざるを得ない環境が多々ある。数年前もこの制度で仲間が去っていった。次は俺の番だなと思いながらやはり来たぜ!という感じだった。覚悟はしていたがそれは、それはショックでしばらくは立ち直れなかったよ。

 

会社側からの言い分はこうだ。会社に残ってお仕事をされても構いません、あるいは今回の制度に乗って退職されても構いません、どちらでもよいですよとのこと。仮に退職される場合、今なら定年まで働いたことを前提とした退職金とさらに特別加算金を用意しております、どうぞお好きなほうをお選びください、という二者択一方式だ。20年も働いてきた会社だ、どっちか選べと言われてもそりゃぁ無理ってもんでしょ。

 

とは言え、選ばねばならず10日間程、悩んだ末に退職することを決意。というか「早期退職プログラムのご案内」を提示された時点で辞めるつもりだったのでどちらかと言えば気持ちの整理的な10日間だったのかもしれない。その証拠に早期退職を提示されたその日の晩は一睡もできず、ベッドの上でゴロゴロとしていたが「どうせ辞めるんだ!だったら職を探そう!」という意思のもと、数十年ぶりになる履歴書・職務経歴書を書き、何度もリバイズしその後、大手の転職サイト7社宛に一気に登録!気がついたら翌日の昼近くになっていたよ。自分がいつ大学を卒業したのかも忘れていたことに気がつき、現職20年という年月の重さを改めて知ったひと晩だったかな。

 

このタイミング、ちょうど妻は出張中で週末に帰ってくる予定。妻になんと言おうか悩んだがまぁフツーに話をしよう、隠したって意味ねーしなと考え妻がお土産持参、楽しい気分で帰ってきたときに悪かったがビシッ!と話をした。妻からの返答は意外なものだった。「あたしがあんたと結婚した理由って知っている?」と聞かれ、「いやよくわかりませんが」とオレ。「だったらちょうどよい機会だから教えてあげる」といって以下の3つを俺に教えてくれた。

 

1.無人島に残されても生きていけるくらいのサバイバリティがあること。

2.プレッシャーに負けず強く突き進んで行けること。

3.積極的に人とコミュニケーションを取り常に前向きに生きていること。

 

だから結婚したんだよぉ、と言われ頭のてっぺんからズッキューン!と衝撃が走り、そうだったんだぁ、そう思われていたにもかかわらず俺はだらしいねぇ男だったなぁとあらためてというか今さら反省の念にかられた。さらに妻は、だからあわてて仕事なんて探さなくたっていいのよ、どうせなるようにしかならないんだから仕方がないんじゃない?それに当面は食べてゆけるお金ももらえるんだし、それなりに蓄えてきたお金だってあるじゃない、あわてない、あわてない、、、なんでバイトまで含めて職を探しているのよ。との返答。

 

えっ?だってずっと働いてきたから、これからも働かなくっちゃいけないと思って、と俺。バカなんじゃない?あたしが今、言ったこと理解している?と妻。よ~く考えてみたらそうだ、50代も後半になってそう簡単に職が見つかるとも思えないし今まで会社組織に身を置いてサラリーマン人生まっしぐら!だった俺。一瞬たりとて未労働という空白の時間を作っちゃいけない、働かなくっちゃ!というサラリーマンとしての悲しい性がそこにあった。

 

ってことで2019年の12月を迎え、妻の言葉にも感化されつつも、とは言え男のプライドみたいなものもあり、さてこれからどうしたもんかなぁ。なんだかんだ言ってもまずは仕事を探してみるか!やるだけやって悔いのない転職活動をしてみよう!それでだめならそれが俺なんだ!という気持ちになりこれから約3ヶ月間、五十代後半のおっさんが数十年ぶりに就活ってヤツを体験することになる。★最後までご一読ありがとうございました。

 

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2019年5月 - 青森県 龍飛岬への道。


Vol. 2 -「50代後半の就活とは」へ続く。

 

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Vol. 0 - はじめまして!

2020年3月末にチョイと早めに会社を退職し、これからは少しゆっくりめの人生を歩んでゆこうかなぁと考えているおっさんです。


仕事ってやつはどの業界でも体を張ってこなさなければならない時もあるし、かく言うこの俺も常識を超える超多忙だった日々がずっと続いていました。それも今となれば懐かしい気もするなぁと思ふ。

 

これからは自分の生きかたに合ったことや好きなコト・趣味の拡充、そして無理のない範囲で新しいお仕事を!というポリシーのもと、日常をゆっくりと書いてゆこうと思っています。


外資系広告代理店の営業マンと銘打っているけれど、ブログ内容は趣味や日常の徒然を中心とし、ときどきお仕事の思い出や、世の中の事を広告目線で綴ってゆくつもりです。


ご縁あってこのブログに遭遇し、読んでくれた方々に感謝します。たいした内容じゃぁないけれどこれからもお付き合いいただければととてもうれしく思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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ちなみにこの写真は2020年のお正月に箱根の大観山までドライブしたときの一枚。滅多に遭遇できない日本晴れ!写真左側には南アルプスまでもが遠望できた!

 

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