元 外資系広告代理店 営業マンのつぶやき

ちょっと早めの定年退職。さてとこれから何をやろうかな。

Vol. 9 - 自分の行為・行動をしっかり見直してほしい

今回も長文&ちょいとネガティヴストーリーになっちゃうかもしれないハナシ。自分の行為・行動をもう少し考えたほうがいいんじゃぁないというある種、余計なお世話的なオハナシ。

 

人は見かけによらないとは前回までのブログで書かせていただいたが、その意味はほぼ100%良い意味に於いて「見かけによらない」であって、時を追うごとに悪い印象となってしまうことはあまりないと思う。なぜなら人は人を見極める嗅覚みたいなものを本能として備えており、初めて出会った人と「もしかして知り合いになってはまずいかも!?」と直感で感じてしまう防衛本能の一種なのかもしれない。でもそうはいっても人同士のつながりだ、会うべくして会う人もいれば世間的お付き合いせねばならない人もいる。

 

そして知り合った経緯などの違いはあっても、第一印象の大切さからその後のお付き合いなどによって「見かけによらない」すばらしい才能を持った人だとか、デキた人だとか好感が持てる人だったりする。そこまでいかなくても人としてお互い認め合い、一般的なお付き合いや知り合い程度に留める場合ももちろんある。今回お話をする人はそういった感覚や感情になりえない「いやぁ~この人、チョイと人としてどうなの」という失礼ながら成り下がってしまった事例を紹介。もちろんこのハナシは「私の主観」であって、他の方々がもしその人に会ったならば素晴らしい!と言って良きお付き合いになる可能性も充分にあることを心に留めておいてほしい。

 

その人=仮称「Aさん」としておこう。2019年5月と2020年1月にリアルにてお会いした。そもそもは知人の紹介であり、お会いした時は私の妻と知人家族を含めデパートで実施しているちょっとしたイベント会場での紹介だった。イベントはAさんが主催しており、当該イベントそのものは充分に楽しめた。そしてAさんとそのマネジャーさんからFacebook(FB)の友だち申請が来たのがイベント会場でお会いしたのち一週間程度だっただろうか。知人の紹介ということもありFBの友だち申請は快諾。

 

リアルでお会いし且つ、FB上で友だちになれば一応はAさんのFB発信内容を拝読するのが筋だろう。Aさんは早寝早起きそしていつも第一報を早朝に投稿していた。最初のうちはフツー読んでいたがあるときからどうもおかしい?というか変?だなと思い始めてきた。投稿内容は毎朝、お決まりの件から始まるのは良いのだが、日々いろいろな人の格言や自身で考えた格言チックなものを投稿していた。格言は引用する人の心を表し、こうありたいあるいはこうなりたいという願望を格言を借りて表すともいう。やがてそれは座右の銘になったりもするそうだ。

 

しかしAさん、引用する格言や自身の格言チックなことが投稿日によってさまざまであり、よくいえば広く世界を見ているともいえるが、悪くいえば支離滅裂。結局なにが言いたいのか、もっと言うとどう生きてゆきたいのかといった自身の信条みたいなものがまったく伝わってこない投稿ということに気がづいた。ぶっちゃけ、拝読していて「痛い」のだ。人は人であってAさんがどう考えようが、どう生きようが勝手ではあるが、これはSNS活用の悪い例だと感じた。Aさんの友だちは4,500人以上、そしてFB公開範囲の制限は設定していない。つまり日本語さえ理解できれば世界中の人々が閲読可能というスタンス。それでこの投稿と発信はね~だろうという内容。

 

まぁ格言を多用するのは一歩ひいて良しとしても、4,500人以上の友だちプラス閲覧制限なしの人々への発信として個人的にAさんどうなの?という内容がいくつもあった。たとえばコロナ禍でのマスクについて。「コロナなんて怖くなぁ~い」「わたしはマスクはしない」「夏にマスクなんておかしい」「外でマスクはしない」など国の感染対策を批判するような投稿(詳細は割愛)が続き、マスクをしている人々をけなすような投稿も目立っていた。そして極めつけの「完全アウト」投稿がいくつかあった。そのうちの2つを記載する。

 

まずひとつめ、Aさんは実は東京在住ではなく地方在住の人だ。東京が3回目の緊急事態宣言下、東京で商売をすべくマネジャーと一緒に東京へ乗り込み一定期間中、マネジャーと入れ替わりながら地方と東京を往復しイベントを実施したのだ。このイベントは大規模ではなく小さな展示即売会ゆえ、会場側の許可が出れば実施可能なレベル。Aさんが持つそれなりの主旨があるだろうし且つ、それを貫徹するための実施ならわからないでもないが、でもこのタイミング普通はダメでしょう。

 

そして一般の人がこの投稿を拝読したならば怒り心頭となるような投稿だったなぁ。もちろん私も怒りが込み上げてきたことは事実だ。なんと展示即売会のことよりも表参道などの繁華街をマスクなしで闊歩している写真や、「緊急事態宣言中なのにトウキョウ人だらけじゃん!モンダイなし!」的な投稿がされていた。Aさんは年齢だけでいうならば立派過ぎる人だ。でも人としてはもしかしたら最低のことをしているんじゃないかと思えてきた。SNS投稿はその人の「一部分」を切り取った投稿であることは承知しているが、逆にいえばその「一部分」でその人を判断してしまうことになるという危険もある。その証拠に、マスクなし繁華街闊歩プラス問題ないっしょ!投稿はそれこそ投稿におおいに問題ありと感じてしまった。

 

そしてもうひとつ。いわゆるエッセンシャルワーカーを完全にバカにしている投稿だった。Aさんはそのつもりはないのだろうが読み手はそうは取らない。少なくとも私は本当に失礼な投稿だと感じた。投稿内容を要約すると、「わたし東京へ行きます、なぜならエッセンシャルワーカーだから。エッセンシャルワーカーは移動していいんだよね。ところでエッセンシャルワーカーってなに?」という投稿。これはさすがにアウトでしょう。Aさんはエッセンシャルワーカーでもないし、エッセンシャルワーカーの意味を知っていてわざとこのような文面を使ったのだ。社会インフラを支えるひとたち、医療従事者はもちろんだがそれに関連する方々、日々のゴミを収集してくれる方々、いずれも仕事といってしまえばそれまでかもしれないけれどこの人たちがいなければ社会は成り立たないことはAさんだって充分に理解しているはずだ。なのにどうしてこのようなことが書けるのか理解に苦しむ。

 

いつだかのAさんの投稿に「オリンピックで無観客なんてありえない!人それぞれの責任で観戦に行けばいい」と投稿していた。それに対してある人が「医療従事者に話を聞いてみたらどうかあるいは取材してみたらどうか、またAさんの持つ製品を医療従事者に寄付してみたらどうか、彼らの心の支えになるはず。近くに感染者かいないから観戦に行けばいいなんて言えるのだ」と正当なコメントを投稿していた。Aさんはそれに対して「人それぞれ」と返信していたがある人は「人はそれぞれでもウィルスはそれぞれじゃぁないので間違いなく感染する」と再返信し、Aさんは「はい」とだけ返信していた。残念ながらAさんがエッセンシャルワーカー宛に寄付した記録は私が知る限りはない。

 

今回の私の投稿、Aさん批判と愚痴に終わってしまったがそれでもAさんから学ぶことは多かった。たとえば「人の振り見て我が振り直せ」「SNSの投稿手法」「人としての行動規範」など反面教師的なことだ。Aさんは多くの活動を積極的に行いメディアに取りあげられることもある人だ。しかしどんなに優秀でもどんなに積極的活動をしていても、どんなにメディアに露出されようと、人としてのあるまじき行動はその人の人間的価値を下げてしまう。おそらくAさんもそれはわかっているのかもしれない。が、実行動に移せないのか、あえてそれをやっているのか、私にはわからない。やっかいなのはAさん信者の方々はマスクをしないことや大勢での飲み会実施に賛同しちゃっていることだ。前述の通り、ジブンあるいは身近な人がコロナ感染していないからそんなことを投稿できるのだと思う。

 

Aさんの言う「人それぞれ」も一理あるけれど、このパンデミックに限っては「人それぞれ」は通用せず、自分でできる最低限の感染対策は絶対に行うべきだし、不用意な発言や行動は身を亡ぼすことを肝に命じておいたほうがよいだろう。

 

最後になるが、Aさんを紹介してくれた知人との義理もあったので約2年間、AさんとのFBでの友だちは続けていたが、さすがにわたくし的にはバツが付いたエッセンシャルワーカーの投稿を最後にキッパリと友だち関係を削除した。今後、Aさんと会うことも話すことも、このように長々と記載することもないだろう。昨日、東京の感染者が5,700人を突破!全国感染者数合計も20,000人越え。このような状況でもAさんは東京で展示即売会を実施する意思はあるのだろうか。自分の行為・行動をAさんもしっかり見直してほしいと思った。★最後までご一読いただきありがとうございました。

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国道361号線から南アルプス遠望。