元 外資系広告代理店 営業マンのつぶやき

ちょっと早めの定年退職。さてとこれから何をやろうかな。

Vol. 6 - 自分がどんな苦境に立たされても仕事が続けられる理由

ついでと言っては私の友人であるALS患者(仮称:Hさん・男性)に対して失礼になるが、前回のブログの続きになってしまうが今回はなぜ私が厳しい環境でも仕事を続けられてきたか、そして今も続けられているかということは少々、偉そうな文章になってしまうが書いてみようと思う。

 

前述の通りHさんとは前職で一緒に仕事をさせてもらった仲間だった。HさんはALSを発症し約10年。今はTLS(完全な閉塞状態)が近く、厳しい病状と闘っている。そんなHさんを見ていると大変に不謹慎ではあるがなぜか勇気をもらいガンバロウ!という気持ちになり、本当は我々がHさんに夢や希望を伝えなければならないのにいつもHさんからパワーをもらっている。そういう自分が時々なさけなくなってくるけれど、なんとなくだが前へ進もう!という気持ちで今までやってきた。

 

実はその気持ちをさらに増幅させる大きなタイミングがやってきた。2019年、日本は世界的なスポーツイベントで沸きに沸いた。そうRWC2019日本大会だ。最終的に日本チームはベスト8まで進み惜しくもベスト4は南アフリカに阻まれてしまったが、実は2019年はまぎれもなく私はRWC2019日本大会の真っただ中で仕事をしていたのだ。

 

具体的な仕事はここでは割愛するが、簡単に言うとRWC2019 日本大会の「ワールドワイドスポンサー」のお仕事を当時在籍していた会社内で私を含め数十人で担当をさせてもらった。お仕事の内容は日本全国施設でラグビーイベント実施や、インフルエンサーマーケティング、デジタルマーケティング、スポンサーのラグビーチケットキャンペーンの企画立案と実施、さらにはチケット管理やキャンペーン当選者さんの各会場ホテル管理や送迎バスの手配、リーグ戦の各会場でのホスピタリティ管理などを一手に引き受けていた。お仕事は前述の通り数十人のチームでやっていたが基本的に人が足りなかったのだろう、私が担当する部門は本来であれば3.5人でやるべき仕事をなぜか途中から私ひとりに任され実行していた。

 

それはそれはハードワークで毎日6:45に出勤し23:30に退社するという日々を約1年間つづけてきた。もちろん週末の休みなどはなく、一年間で7日しか完全休養日はなかったという状況。もちろん夏季休暇、年末年始などない、そりゃぁ体もおかしくなるけれどそれでもやり続けた。この仕事、実はキツイ現場仕事だ。しかしかっこよく言うと、多くのイベントを手掛けてきた私以外には任せられる者はいなかった、したがい頼んだぞ!という筋書きだったのかもしれない。

 

さて話を戻すが、そのようなハードワークでもやり続けられてきたのはHさんが常に私の頭の中にあったからだ。当時の回顧録的には、私はハードな仕事をやっているけどHさんと一緒に仕事をしていると思っているからこそ、やり続けられているのだと。Hさんだって仕事をバリバリとやりたいはず、でも今はALSという病気でそれもままならない。であれば私ごときで申し訳ないがHさんの分、あるいはそれ以上の事をやってみよう!と心に誓いやり続けていることを。

 

と思いながらとにかくがむしゃらに進んだ。人とは不思議なもので、がむしゃらに進み続けるといろいろと不思議な世界が見えてくることがわかった。そこで見えてきたものとは。これまた偉そうな言い分だけどHさんのために「自分の立場をすべて捨てて」何かを成し遂げようとするとき、人には限界というものが存在せず、なんでもできるし乗り越えられることがわかった。辛いとか・やりたくないとか・人のせいにするとかあるいは見返りを期待するとかそういった感情は出てこないし怖いものなんてなくなってしまった。さらに不思議と人に敬意を表し行動しようとする心が芽生えてきた。この歳になってこんな感情が持てたことと経験できたことがちょっとうれしかったかも。心が洗われたって感じが適切かもしれない。

 

2020年3月、会社都合による早期退職後、現在はとある会社で業務委託的な立場で厳しい環境に身を置いてはいるが、Hさんのことをこれまでもそしてこれからもひと時も忘れることなく進んでみようと思えばこそ、どんな環境でもどんな仕事でもできる気がしているし、現にやっている自分がそこにいる。Hさんは私にとって誇りだと思っている。そして以前に見た夢だけど、ALSで闘病中のHさんの病室に入ったらHさんがみんなに囲まれてニコニコと笑いながら上半身を起こし「Hydeeさん!俺、病気が治ったんだよ!これから歩くんだ!ほら見て!!」といって地面に足を出し立とうとしている夢。そしてこの夢は夢ではなく現実のものにしたいと強く願っているし、不治の病であるALSと闘い続けているHさんがいるからこそ、いかなる苦境に立たされても働いて行ける私がいるような気がしている。

 

というお話。人の持つ力。人は何かのきっかけで強くなれるということ。人は前を向いて一歩ずつ進んでゆかなければならないこと。人は人を想い、人のために役に立つということを常日頃から思い行動せねばならないこと。そうすることによって自身の人生はもちろん、まわりの人々も幸せになり世の中も必ず良くなってゆく!と信じて生きてゆかねばと思ったこの2年間だったかな。これからもガンバロウ!★最後までご一読ありがとうございました。

 

f:id:Hydee:20210111195506j:plain

2021年、本厄の厄祓いと同時にALSの根絶を祈ってきた。東京調布の深大寺にて。

 

Vol. 5 - 健康のことではなく、病気のこと

今回は健康のことを書こうかと思ったけれど、とある病気のことについて書くことにしました。ちょっと重い内容ですが最後までご一読いただければと存じます。

 

突然ですが、ある日を境に少しずつ自分体が動かなくなってゆくとしたらみなさんはどうしますか。不安に駆られますよね。たとえば右手に力が入らないとか、腕を一定の高さまで上げると途端に力が抜けてストン!と腕が下に落ちてしまったり。はじめは多忙すぎたからかな?疲れがたまっているからなぁ最近は、と思いがち。

 

でも1~2ヶ月経っても症状は改善されず、それどころか以前より症状が進んでいるみたいだなぁと自分でも感じる。さすがにおかしいと思い病院に行く。病院でも原因不明あるいは他の病院を紹介される。最終的に行きついた病院で検査入院を強いられ多数の検査を実施。入院後2週間程度経ったころ、医師より病名が告げられる。あなたは「筋萎縮性側索硬化症」であることが限りなく疑われますと。10万人にひとりの難病で、英語名ALS(エー・エル・エス)と呼ばれ、米国で国民的人気があったメジャーリーグ選手のルー・ゲーリックがこの病気で亡くなったことから、米国ではALSのことを「ルー・ゲーリック病」と呼ばれることもあります。原因不明で現在の医学では根治ができず不治の病のひとつです。

 

医師は説明を続けます。体の運動ニューロン(運動神経)だけがなんらかの異常(原因不明)により侵されてゆく病気です。他の感覚(嗅覚・味覚・熱い・冷たい・かゆい・脳機能などは正常のまま)機能し続けます。最初は手足の不自由から始まりその後、シャツのボタンも留めたり服を着ることもできなくなったり、噛む力もなくなるので食事もできなくなり、さらに症状は足にも広がるため歩くこともできなくなります。

 

当然車椅子となり、病状が進行すると呼吸をつかさどる筋肉も侵され呼吸もままならなくなるので酸素マスクを装着せざるを得なくなります。そしてそのころにはベッドに寝た切りとなり、もちろん自分では寝返りもできずほぼ24時間完全介護となります。いずれは酸素マスクでは自発呼吸のサポートができず呼吸器の筋肉も機能しなくなり呼吸困難というか呼吸ができなくなり死に至ります。

 

その後も医師は淡々と病気の説明を行います。呼吸器不全で死に至ることを防ぐためには器官切開し、人工呼吸器を装着し「胃ろう」により栄養を補給することになります。気管切開後は自身の声を発することはできなくなるので目だけのコミュニケーションとなります。先に述べましたように、現代医学では不治の病で発病からなにもしないと平均5年程度で亡くなられるというデータもあります。また日本の法律では人工呼吸器を装着したら外すことは許されず、ずっと24時間看護で生き続けなければなりません。

 

ここまですべてを医師が一気に説明するとは思えませんが、いずれ本人はこのことを自覚し、受け入れざるを得ないのです。これは生きながら死人宣告を受けるのと同じことで、あるいは死より厳しい選択を強いられるといっても過言ではないかと思います。世界で一番残酷な病気と言われているALS(筋萎縮症側索硬化症)の病状進行と生きるための選択肢までの話とさせてもらいました。

 

そしてALSは手足や呼吸器など、体を動かすあるいは生活するための筋力をすべて奪い去ってゆきます。すべての筋力を奪っても最後に残るのが目と瞼(まぶた)の筋力です。したがいALS患者さんは最後の手段として「目の力」を使ってPC入力や文字盤による意思の伝達をしてゆくという状態まで追い込まれます。

 

この病気の残酷だと言われる由縁は前述の通り、運動ニューロンだけが侵されてゆく病気でその他の感覚はすべて生きているのです。したがい、仮に蚊が皮膚を刺してかゆくてもかくこともできず、顔にハエがとまっても払うこともできないのです。そういった神経は健全に作動しているのですから。そして最も残酷と言われている最後の症状が瞼(まぶた)を開くことができず、完全に暗黒の世界に閉じ込められてしまうという状態(TLS=完全な閉塞あるいは完全な閉じ込め状態とも言います)が必ず来ることです。自身の意思で瞼を開けることもできず閉じることもできなくなってしまいます。いままで目の力によるPC入力や文字盤使用による意思伝達はできなくなり、自身の意思はすべて伝えられなくなるという悲惨な状況が必ず来るのです。

 

なんでこんな話をするのか?実はこの話は以前、私が勤めていた会社の同僚がこの病気に侵され、発病から約10年。気管切開をして現在はTLS(完全なる閉塞状態)の一歩手前という状況にきているのです。それでも同僚は発病とほぼ同時に一般社団法人を立ち上げALSの認知と根絶を願って今でも活動しています。本人は以前「動かない体、意思を伝えられなくなってゆく体、これでも私は人と言えるのだろうか」と申されていました。その現状を知ってもらうために” I’M STILL ”というイベントを開催し、身動きできない体をモデルとして絵画を趣味としている人達に自身を描いてもらい、ALSの啓蒙活動を行ったこともあります。本人曰く「俺はさらし者になる」と言ってそれこそ体を張ったイベントでした。この文章を読んでくださった方々に対して私はALSという病気を知ってもらい一日のうち、いや一週間のうちほんの数秒でも構わないのでALS患者さんのことを思いALSが根絶してくれればと願ってもらえればという思いから書いております。

 

世の中にこんな病気があるのか!?とお思いでしょうが2014年にアイス・バケツ・チャレンジというSNSを中心としたキャンペーンが一世を風靡したことがあります。頭のてっぺんから氷水をかぶり、他の人へその行為をつなぎALSという病気を知ってもらおう!という世界的なキャンペーンでした。読者の方々の中には体験された人もいらっしゃるのではないでしょうか。あれから約7年、徐々にではあるますがALSの根本的な原因や発病のメカニズムも解明され始めたとも聞きます。

 

またALSを題材にした映画「10万分の一(劇場公開2020年11月27日)」が封切られ、白濱亜嵐さんと平祐奈さんのダブル主演でALSの残酷さを伝えています。さらに2020年にはこの病気で苦しんでいる患者さんがSNSで知り合った医師に自らを殺害してもらう依頼をしたという事件も起き、それを特集したNHK番組「患者が ”命を終えたい” と言ったとき」が2020年12月26日に放送されました。少しずつですが難病ALSを知ってもらおうとメディアや映画業界でも動き始めたということを伝えさせていただきました。

 

最後になりますが、ALSを広く知ってもらうために毎年夏至の日を「世界ALSデー」とし、様々なイベントが世界中で行われます。近年、世界中で行われているのが「GORON(ゴロン)」です。ALSで動かなくなった体を自身が体験する行為で「ゴロンと地べたに寝っ転がり」そのまま5分間、なにがあっても動かないということを行います。手軽と言っては語弊がありますが、どこでも一人でも、いつでもできるGORONをみなさまも体験してみてはいかがでしょうか。

 

一秒でも早くこの世界一残酷と言われる病気=ALSから患者さんたちが解き放たれる日を願ってやみません。本当はもっと多くのことを書きたいのですが本日はこのあたりで終わりとし、続きはまたの機会とさせていただきます。最後までご一読いただきありがとうございました。

 

自分も含めみなさんにもう一度、お聞きします。ある日突然、自分の体が動かなくなりはじめたらどうしますか、そしてどう思いますか。。。★最後までご一読ありがとうございました。

 

f:id:Hydee:20210108223312j:plain

2014年に行われたアイス・バケツ・チャレンジでのひとコマ。



Vol. 4 - 久しぶりの投稿です - 定年退職って

当ブログをご一読されたみなさま、2020年4月からはじめたブログですが3回目以降の更新がまったくできておらず、大変にご迷惑ならびに不快感を抱かせてしまったことお詫びします。2021年、気持ちも新たに再起動とさせていただければと存じます。日常のこと、仕事のこと、趣味のことなどを書き続けてゆくつもりです。今後ともよろしくお願いいたします。今日は2021年1月2日です、早速再起動の第一回目として書かせていただきます。

 

前回までは私が会社を辞めた理由とその時の気持ちを徒然に記載させていただきました。この回からは趣味のことを書くつもりだったのですが、チョイと気が変わりまして会社を退職~再就職活動をしているときに就活と同時に独立・起業をやってみる意思も同時にあったので55歳以降の方々、あるいは若い方々も参考になるかもしれないことを書いてみようと思います。ずばり55歳以降、定年を意識しはじめ60歳を迎えた時にどうするか!?というテーマです。前回のVol.3でも少し触れさせていただきましたがその続きと思っていただければ。

 

でもこの話を進める前に私の趣味をせっかくなのでひとことだけ記載させていただき、それらの詳細はいつの日かブログ上で公表してゆきたいと思っております。私の趣味はひとことでいうと「スピード」です。具体的にはスキーとモーターサイクルです。共に体で風を受けて爽快感を求めるという趣味は私にとっては何物にも代えがたく、これらをジジイになってからも(もうジジイですが)続けてゆこうと思っています。そのために体調管理と体力づくり・筋力づくりは怠らずやっております。と言っても今年は60歳になります、したがいまして年齢相応の運動ですけどね。この趣味の延長が生活スタイルにも反映、そしてもしかしたら起業できるんじゃね?ナドナド、なかなか面白い展開だったりします。これらのハナシも次回以降とさせていただきます。

 

さて前置きが長くなりましたが、定年を前にしたオッサンはどうするか、ということですが、サラリーマンは国が定める「高年齢者雇用安定法」たるものが存在し、60歳定年後も65歳までは雇用を続けなければならないという法律があり、人生100年時代といわれさらに改正・高年齢者雇用安定法では企業は70歳までの雇用を検討しなければならない(義務ではない)ということになっているらしいです。

 

したがい65歳までは雇ってもらえるからいいや、65歳になったら年金ももらえるしなんとかなるだろうと漠然と思っている方々が多いのではないでしょうか。しかし本当にそうなのでしょうか。私のように59歳で会社都合による早期退職制度にて退職をした者にとってはそんな呑気なことは言ってはいられません。退職金や会社都合退職による特別加算金、貯金や投資などによる現金はあったとしても、サラリーマンとしての看板は背負えずたった一人で勝負にでなければなりません。現在、働かせてもらっているところも基本的には「業務委託契約」に近い形なので、収入がある月とない月の差もありますし不安感満載です。そんなとき就活をしながら漠然と考えていた独立・起業も同時に真剣に考え始めたのです。

 

話が飛びますが私の知人も60歳以降、再雇用をされましたが今までの身分や立場は身ぐるみはがされ実年齢は60歳以上、でも雇用は新卒社員と同じ、あるいはそれ以下となってしまった人たちがいました。再雇用とは現時点ではそれが普通なのです。でも会社も悪気があってそうしているのではないのです。60歳以降の雇用は国で定められているにしても企業側としては60歳以降の方々の雇用については正直「暗中模索」なのです。彼らは結局のところ今までの立場と今後の立場を自身の中で消化できず困ってしまっていたというのが現実でした。そして2020年、世界を襲ったコロナ禍によりあえなく契約打ち切り=無職となってしまったのです。その後どうしたかはわかりません、雇われる立場からいきなり放り出されたわけですからね。したがい私は今後、60歳を超えて65歳近くになってどうしたらいいいかわからないぃぃぃ、というスタンスにはなりたくない!という気持ちがあったので少し遅いかもしれませんが57-58歳くらいからでしたでしょうか、漠然と独立・起業を意識し始めました。

 

でも自分は何ができるのだろうか。サラリーマンを30年以上やったって、たいしたこともできないしなぁと思っていたのですが、とはいえ日頃から「自身が一番強いモノはなにか=そうそう人には負けないモノってナンダ?」そして「それを武器として仕事に活かせるのか」ということはいつも考えていました。そしてなんと!それを証明する世界的にも有名なとある「診断テスト」をひょんなきっかけで受けることができたのです。結果の説明を聞き、まさに目からウロコ!とはこのことでした。自分が漠然と思っていた強みと弱みが客観的視点をもって証明され可視化されたのです。平たく言えばキャリアの棚卸ってやつですかね。そうだったんだぁ!やっぱりなぁ!という納得と「よぉ~し!これなら仮に独立・起業しても強みが弱みを補完しながらやってゆけるかも!」と思い始めました。

 

そう思えば不安はあるものの何か背中を押された気がして、現職をやりながらも同時並行は可能だな!とある程度の確信に変わってきました。じゃぁ俺が前から考えていたこと(3つほどあるのですが)を企画書にしてみよう、そして知人のコンサルタントや友達など利害関係のない人達に聞いてみよう!と思い、企画書を一気に書き上げました。その内容を知人のコンサルタントはその中のひとつについて「これイケますね、あとは競合がどれだけあるのか、ターゲットをどう設定するのかだけですね」とのご意見。つまりレッドオーシャンではなくブルーオーシャンに近いところで勝負ができそうな気配を感じました。

 

今後はPL, BS, 初期投資も含めた事業計画書(書いたことないけど)を作り独立・起業かな?という手ごたえ的なものを得ました。はじめはもちろん!ひとりで独立・起業です、人なんか雇える規模じゃぁありません。仲間が必要な時は業務委託で集めてゆきます。それまでの期間は現職をやりながら&小銭を得ながら準備に取りかかろうかなと考えています。準備期間は1年、つまり最短で2022年にはうまくいけば独立・起業できるかも!?という状況です、まぁどうなるかわかりませんけどね。でもこれができれば65歳以降、多くの人が再雇用という立場が終了し、この先どないすんねん???と思い始める時には年金をもらいながら少しくらいは自分の力で稼げるかな?という目論見です。甘いっ!とおっしゃられる方々も多いかと存じますが、みなさんは60歳あるいは65歳以降のご自身の人生をどう考えていらっしゃいますか。そして若い世代の方々もまだ先のコトなんて思わず、確実なこととしては貯金から始めるのもよいかと思います。仮に毎月数万円×25年で計算しても結構なお金が貯まりますよ。

 

ということで今回は抽象的なお話になってしまったかもしれませんが、かなりバカな私でも少しは考えチューということでございます。次回内容は未定ですが、健康のことでも書こうかなと思っております。★最後までご一読ありがとうございました。

 

f:id:Hydee:20210103003025j:plain

2021年 元旦「世田谷区 大蔵総合運動公園」にて

 Vol. 5 健康に続く。もしかしたら別の話題かも。

Vol. 3 - 気持ちを切り替えて!

実は転職活動の現実と同時に、ずっと前からなんとなく考えていた独立=個人事業主または会社設立ってやつも同時に模索していたのも事実。調べてみると国や自治体の支援も多く、かなり参考になることも多かった。俺の住まいはコロナで悪名高き東京都であるが昨今、急に騒ぎ出している「人生100年時代」を迎えるべく、企業は国の法律施行を受けて定年退職後の再雇用を進めており且つ、国は65歳はもちろんのこと70歳くらいまで働けぃ!と申されている様子だ。

 

それを後押しする東京都の施策も多く用意されており、それらを知ってもらうためのセミナーもこれまた多数用意されていることに気づいたオレ。であれば無料だし、個別相談もあるんだったらぜひ!受講してみようと考え、いくつか参加してみた。いやぁ~これが参考になる!びっくりした。東京都といえどもチョロいセミナーなんだろうなぁと高をくくっていたが、大間違い!小池都知事まで出てきて挨拶やスピーチをするといった力の入れようには驚いた。

 

これを使わない手はない!と考え、個別相談なども活用して齢50代後半(2020年に59歳)のおっさんだけど多くの知識を身につけさせてもらった。ここで知り合った方々はこれから俺が仕事をしてゆくうえでとても大切な人達だ。この方々との関係を大切にしてゆこう!という出会いの数々だったかな。東京都もやるなぁ!と思う。が、結局は60歳を過ぎても働き、税金を納め、自治体も国も人生100年時代に備えるためということなんだろうなぁとも思っているけど、個人レベルでは良き出会いだったかな。

 

そして2020年7月もまもなく終わり。本来であればオリンピックイヤーであり今頃は開会式や競技で盛り上がっていたことだったと思うがコロナや豪雨等による自粛や甚大な被害があり、そして今年の梅雨は長い。関東甲信越の梅雨明けはどうやら8月になるとのこと。早くすっきりしたいし、「令和二年七月豪雨」で被災した方々や地域の早期復興を願いたいですよね。

 

そしてそういう俺はというと、とある企業に属しながら(業務委託に近い立場だけど)そこは副業が可能なので、個人事業主としても別件活動中。さらに以前のお仕事で知り合った人たちから新規事業の立ち上げなどの話ももらい、すぐにそれなりのお金になるとか、あるいは安定化というハナシではないけれど、なんとか50代後半=59歳からのリスタートを切った!という感じかな。

 

これからは仕事はそこそこに、でも一歩先をゆく「先手必勝型ビジネス」を踏襲しつつきっちりとこなす、そして趣味も大いに楽しむ!そういう人生を送ってゆきたいと考えております。早期退職を会社から持ちかけられた2019年11月から約8ヶ月、やっと気持ちを切り替えられたかなぁと最近は少しは思えるようになってきたかな。今、日本をはじめ世界の名だたる企業ですら経営不振に陥り、大量の人員整理=雇用調整を行っている。そういう意味ではコロナが大騒ぎする前にこのようなハナシがあり且つ、相当よい条件だったことはとてもラッキーだったと今は思えるようになってきた。

 

大学卒業後ずっとサラリーマン。そして定年数年前にまさかの早期退職勧告!そりゃぁ落ち込むし、むなしいし、気力も失せながらもあきらめずに前を向く辛さ、いろいろあったけど俺を支えてくれたのは多くの友人と妻の言葉だった。

 

というわけで次回からはがらっと話題を変えて手前勝手ながら俺の趣味の話でもしようかな、と思っています。これからもこのブログへのお付き合いをよろしく!お願いいたします。★最後までご一読ありがとうございました。

 

f:id:Hydee:20200727130301j:plain

2018年5月 秋田県 鳥海グリーンラインにて。

 

Vol. - 4 「趣味について」へ続く。

 

続きを読む

Vol. 2 - 50代後半の就活とは

心も体も30代とは言わないけれどまぁ自分では40代前半から中盤のつもりでいたが、世の中はそんなに甘くない現実をメチャクチャに突き付けられた。大手求人サイトでは法律上、年齢制限を記載してはいけないことになっているらしく、世の中にはたくさんの職があふれかえっている。よ~し!俺も頑張るぞ!と自分のスキルと経験からオレ的にはマッチングしているであろう企業に片っ端から応募。しかし面接前にメールにてほとんどが断られてしまうという現実がそこにはあった。

 

えっ?なんで??これだけ経験があるのに。別に正社員になりたいと言っているわけではないし、契約社員あるいは業務委託でもよいし、年収だって今までの1/3で構わないと思っていたのだが、50代後半のジジイ(当時58歳/2019年10月に59歳を迎える)に世の中は冷たかった。要は50代は世間にとって不要らしい。一般的なサラリーマンの世界では50代はおろか、40代でも不要。今、最も必要としているのは20代~30代中盤まで。それより上の年齢は職というかポストがないということらしい。

 

つまりのところ、旺盛に働く20代や30代は必要だけど、管理職あるいはそれに相当する年齢やポストに就く人たちはそもそもヒエラルキーの上層部分に位置しているので、当該者が転職あるいは退職しない限りそのポストは空かないし、ゆえに求人がないというのが現実のようだ。11月から3月末までの4ヶ月間、応募した企業は50社以上。正社員、契約社員、業務委託に至るまでどれひとつとして面接までも行かず、すべて書類選考落ち=年齢制限落ちってやつだったよ。

 

しかし持つべきものは友だなぁとつくづく思ったこともあった。俺が早期退職に踏み切ることを世話になったクライアントや友人に話さなければならない現実もあったが、驚いたことにクライアントはHydeeさんが辞めるのならHydeeさんに仕事を出したい!と言ってくれたり、多くの友人が手を差し伸べてくれて転職サイトとは別にいくつかの企業を紹介してくれたり、50代後半からの暮らし方や生き方等を教えてくれ、これは妻のことば同様、たくさんの勇気を得ることができた。本当に心から感謝だったし、この先の現実を正面から受け止め、先に進める気がしてきたことも事実だった。

 

気持ちを切り替えながらも、アルバイトという手段も選んでみた。そのひとつに大手企業の出荷センターで採用してもよいとの話をいただいた。作業は倉庫での品出しや出荷前の検品作業となり時給提示を受け、面接に臨んだ。事前に言われていたことは20代の若手社員があなたの上司になります。作業着を着て仕事をしてもらいますが、50代のあなたに耐えられますか、精神的苦痛にはなりませんか。それでよければ面接に来てくださいとのことだった。案の定、上司になる20代の若者は茶髪で態度はデカかったよ。これは無理だなぁと思いこちらからお断りとなった。

 

さぁてどうしようかなぁ。妻が言うように無理に働かなくてもゆっくり考えながらでよいじゃない、という言葉が頭を何度もよぎりながらも男のプライドもあり悪戦苦闘という感じだった。ところが就活と並行しての話となるが、1月下旬ごろからだっただろうか、業界ではチョイとばかり名の知れた企業複数社から声がかかりぜひ!来てほしいというのだ。願ってもないチャンス到来。各社の面接に足しげくかよった。反応は上々!これはこちらが複数社を選べるという形勢大逆転系となった。しかし!しかしだ、ここでまた大きな難問というかどうしようもない状況になっちまった。

 

そう、今でも世の中を騒がしている新型コロナウィルスの蔓延だ。各企業からは二次面接や役員面接・社長面接などが相次いで無期延期となり2020年7月末現在、そのままの状態。コロナは収束するどころか拡大の一途をたどっておりこりゃぁ面接再開はねぇなと思ったのが3月末。そして今後、自身の身の振り方に腹をくくったのだった。★最後までご一読ありがとうございました。

 

f:id:Hydee:20200727111600j:plain

2019年 青森県 奥入瀬渓谷にて。

 

Vol. - 3 「気持ちを切り替えて!」へ続く。

 

続きを読む

Vol. 1 - 早期退職制度

とある外資系広告代理店に勤務して20年。広い意味での広告業に携わって約32年。ずいぶんと長い期間、広告業界に身を置いておりますなぁ。2019年の日本は国際的なスポーツイベントに於いて日本チームがベスト8に入ったという快挙に沸いた年。私も当該イベントの一部分を手伝い、予てからの夢でもあった国際的なスポーツイベントにかかわれうれしくて、業務に全力投球!かなりのハードワークでしたがなんとか無事に終了。

 

しかしイベントが終了して間もない2019年11月21日(木)15:30、この時を待っていたかの如く会社から呼び出しが。なんとなく数年前から覚悟はしていたけれど「早期退職プログラムのご案内」たる書類が社長より提示された。我々、外資系代理店では日本の定年である60歳を待たずに早期退職制度等の活用により会社を退職せざるを得ない環境が多々ある。数年前もこの制度で仲間が去っていった。次は俺の番だなと思いながらやはり来たぜ!という感じだった。覚悟はしていたがそれは、それはショックでしばらくは立ち直れなかったよ。

 

会社側からの言い分はこうだ。会社に残ってお仕事をされても構いません、あるいは今回の制度に乗って退職されても構いません、どちらでもよいですよとのこと。仮に退職される場合、今なら定年まで働いたことを前提とした退職金とさらに特別加算金を用意しております、どうぞお好きなほうをお選びください、という二者択一方式だ。20年も働いてきた会社だ、どっちか選べと言われてもそりゃぁ無理ってもんでしょ。

 

とは言え、選ばねばならず10日間程、悩んだ末に退職することを決意。というか「早期退職プログラムのご案内」を提示された時点で辞めるつもりだったのでどちらかと言えば気持ちの整理的な10日間だったのかもしれない。その証拠に早期退職を提示されたその日の晩は一睡もできず、ベッドの上でゴロゴロとしていたが「どうせ辞めるんだ!だったら職を探そう!」という意思のもと、数十年ぶりになる履歴書・職務経歴書を書き、何度もリバイズしその後、大手の転職サイト7社宛に一気に登録!気がついたら翌日の昼近くになっていたよ。自分がいつ大学を卒業したのかも忘れていたことに気がつき、現職20年という年月の重さを改めて知ったひと晩だったかな。

 

このタイミング、ちょうど妻は出張中で週末に帰ってくる予定。妻になんと言おうか悩んだがまぁフツーに話をしよう、隠したって意味ねーしなと考え妻がお土産持参、楽しい気分で帰ってきたときに悪かったがビシッ!と話をした。妻からの返答は意外なものだった。「あたしがあんたと結婚した理由って知っている?」と聞かれ、「いやよくわかりませんが」とオレ。「だったらちょうどよい機会だから教えてあげる」といって以下の3つを俺に教えてくれた。

 

1.無人島に残されても生きていけるくらいのサバイバリティがあること。

2.プレッシャーに負けず強く突き進んで行けること。

3.積極的に人とコミュニケーションを取り常に前向きに生きていること。

 

だから結婚したんだよぉ、と言われ頭のてっぺんからズッキューン!と衝撃が走り、そうだったんだぁ、そう思われていたにもかかわらず俺はだらしいねぇ男だったなぁとあらためてというか今さら反省の念にかられた。さらに妻は、だからあわてて仕事なんて探さなくたっていいのよ、どうせなるようにしかならないんだから仕方がないんじゃない?それに当面は食べてゆけるお金ももらえるんだし、それなりに蓄えてきたお金だってあるじゃない、あわてない、あわてない、、、なんでバイトまで含めて職を探しているのよ。との返答。

 

えっ?だってずっと働いてきたから、これからも働かなくっちゃいけないと思って、と俺。バカなんじゃない?あたしが今、言ったこと理解している?と妻。よ~く考えてみたらそうだ、50代も後半になってそう簡単に職が見つかるとも思えないし今まで会社組織に身を置いてサラリーマン人生まっしぐら!だった俺。一瞬たりとて未労働という空白の時間を作っちゃいけない、働かなくっちゃ!というサラリーマンとしての悲しい性がそこにあった。

 

ってことで2019年の12月を迎え、妻の言葉にも感化されつつも、とは言え男のプライドみたいなものもあり、さてこれからどうしたもんかなぁ。なんだかんだ言ってもまずは仕事を探してみるか!やるだけやって悔いのない転職活動をしてみよう!それでだめならそれが俺なんだ!という気持ちになりこれから約3ヶ月間、五十代後半のおっさんが数十年ぶりに就活ってヤツを体験することになる。★最後までご一読ありがとうございました。

 

f:id:Hydee:20200727004249j:plain

2019年5月 - 青森県 龍飛岬への道。


Vol. 2 -「50代後半の就活とは」へ続く。

 

続きを読む

Vol. 0 - はじめまして!

2020年3月末にチョイと早めに会社を退職し、これからは少しゆっくりめの人生を歩んでゆこうかなぁと考えているおっさんです。


仕事ってやつはどの業界でも体を張ってこなさなければならない時もあるし、かく言うこの俺も常識を超える超多忙だった日々がずっと続いていました。それも今となれば懐かしい気もするなぁと思ふ。

 

これからは自分の生きかたに合ったことや好きなコト・趣味の拡充、そして無理のない範囲で新しいお仕事を!というポリシーのもと、日常をゆっくりと書いてゆこうと思っています。


外資系広告代理店の営業マンと銘打っているけれど、ブログ内容は趣味や日常の徒然を中心とし、ときどきお仕事の思い出や、世の中の事を広告目線で綴ってゆくつもりです。


ご縁あってこのブログに遭遇し、読んでくれた方々に感謝します。たいした内容じゃぁないけれどこれからもお付き合いいただければととてもうれしく思います。今後ともよろしくお願いいたします。

f:id:Hydee:20200510102532j:plain

ちなみにこの写真は2020年のお正月に箱根の大観山までドライブしたときの一枚。滅多に遭遇できない日本晴れ!写真左側には南アルプスまでもが遠望できた!

 

続きを読む